がやがやと騒き立つ観客。各地の億万長者たちが掻き集められ、本日開催された“裏オークション”。このオークションにはいくつかルールがあり、最も重要なのは、観客は全員“仮面”を付けて参加しなければならない。闇社会に身を置く連中だ。素性を隠す必要がある。
仮面デザインは自由だ。ほとんどが舞踏会で使用するような奇抜で絢爛なマスクを身に付けてくるが、中には着ぐるみを被ってくる者もいるし、布を扱う者もいる。ちなみに俺は無難に、市販でもよく見かける真っ白な安っぽい面で顔を覆っている。
今晩も満席だ。ただひとつ、いつもと異なるのは、連中はやけに・・・盛り上がっている。年に一度催されるこの「人売オークション」で、これほど騒々しくなるのは何年ぶりだろうか。
何やら“大物”が届いているらしい。
オークションに対してインタレストは一切無いが、仕事関係で毎年、顔を出している。このイベントで出展される商品を見学することで、微々たる情報を入手できる。出展物の歴史や性質などを頼りに、買い手の嗜好や人格、素性や意図なども見出せることがある。
俺の仕事は殺し屋。今回も俺に課せられた任務は“暗殺”。
依頼主が殺して欲しい対象は、このオークションに毎年参加しているらしい。今宵も例の大物を狙ってやって来るはずだ。
派手に着飾られたステージの照明が落とされた途端、観客の声が水を打ったように静まり返った。
俺は寂々たる会場を移動し、壁にそっと背を預ける。ステージの中央にスポットライトが投じられるが早いか、目をあちこちへと凝らし、闇に包まれた会場でターゲットの姿を探る。だが、この数え切れないほどの客の中から、たった一人を捜し当てるのは難解だ。仮面を被っているのなら尚更。
というのも、標的の顔写真も名前も知らされていない。依頼主は何か弱みでも握られているのか、与えられた当の本人に関する情報は微々たるものだった。ターゲットは必ずこのオークションに来ること。本日の“目玉”を狙っていること。そして中年男性であること。しかしながら中年男性なんて、この闇の社会ではうじゃうじゃいる。

「今年は盛り上がってるねぇ」

観客が拍手を送る中、おそろいの面を付けた一人の男が俺に近寄り、声を掛けて来た。

「さっぱり分からないな。大金を払ってまで、人を買い取りたいものか?」
「孤独を好むお前さんにゃ、理解できないだろうね。己の娯楽のため、利便のために“奴隷”を買うのさ。なんせ今日は“大物”が来てる。普通なら有り得ない人を奴隷にできるなんて、連中にとっては夢物語だからな」

司会者がマイクに向かって高々と声を張り上げる中、相棒がネクタイを締めながらそう説明した。
売主が大勢に対し、売り物商品についての買受けの申し出をさせ、最高価額の申し出人に対して承諾を与えて売買する――それがオークション。しかし骨董品や美術品ならまだしも、何故、人間を売り、高い金を出してまで手に入れようとするのか。

「奴隷、ね」

世間はやはり腐ってやがる。
傾いたフェドラハットを整え、そう吐き捨てた俺は、黙って次々と売られていく人間を観察していた。興味の無いものを眺めるのは実に詰まらない。
4番目の商品が紹介され、観客が声援を上げる中、俺は会場を相棒に任せ、裏から狙って来るかもしれないという予想を抱き、舞台裏へと移動した。
そこには、両手を手錠で封じられ、買収された際にはどんな宿命が待っているのか分からない、沈痛な面持ちで粛然として口を閉ざす者。悲鳴を零しステージへ上がろうとしない者もいる。次の商品、5番目の人売が強引に舞台へ連れ込まれ、観客は商品価格を次々と上げていった。
そうやって俺は、ステージへと引きずられる人間どもの重々しい背を眺めていた。

「ナンバー12、準備を」

次の瞬間、ふわっ――と。
薔薇のようなフレグランスが鼻を突いた。この汚らわしいオークションで、何故このような甘い香りが。
香る方角へ視線を向けると、そこには長い髪の女と、図体のデカイ男がいた。女は俺に背を向けていて、その顔を見ることができない。

「姉ちゃん……アンタも売られるんだなあ。こんなに若くて、綺麗なのに」

13番のプレートを胸に掛けた男が、12番の商品に声を掛けた。薔薇の芳香は12番の女から漂っている。無言でステージを見つめていた女が13番へ顔を向けた際、横顔が見えた。
俺は、目を見張った。
隙間風すら無いこの場で、ふわふわと波打つように流れる闇色の毛並み。雪のように白く輝く肌。長い睫毛。桜色の唇。おどろおどろしい血のような、ルビーのような、真っ赤な瞳の――。
誰に話しかけられようとも、女は何も答えなかった。ただ背筋をぴんっと伸ばして、胸を張っている。その身熟しはまるで自分の番を待っているかのようだった。
異常だ。この場で堂々としていられるなんて。しかも、その姿勢や風情からすれば、高貴な一族の一員に相違ない。何故、そのような身分の人間が人売オークションの商品として……?

「お待たせ致しました。今宵の“目玉商品”をご紹介致します。商品ナンバー12!」

標的が狙っているという、今回の“目玉”。あの女だったのか。
女がカーテン裏から登場した途端――観客のほとんどが身を乗り出した。中には固唾を呑んで瞬きをしたり、目を見開きながら口端を吊り上げたりなどと、それぞれの反応は様々だった。

(あの女、一体……?)

女や子供がこの人売オークションに登場するのは割と普通のことだ。
だが明らかに、観客のリアクションが先までとは異なっていた。12番に対しては、素で反応を示している。
彼女の登場に司会者も有頂天になったのか、「皆様ご存知、月明かりを浴びると共に、無きメロディーに伴い夜明けまで舞い続けるという呪を持ち、黒い薔薇を咲かせるという、あの“伝説のプランセス”!」と、先よりも更に声を弾ませた。
“姫”と呼ぶには、不気味なオーラと血のような瞳が目の毒。だが大輪の如く誇る美貌、そしてその身のこなしから、“姫”という表現は適当かもしれない。
しかし、なるほど。どこかのお姫様なら“目玉商品”と呼ばれるだけのことはある。だがどこかのお姫様をこの場に掻っ攫って来たのなら、それは国際レベルの犯罪だ。オークション側は何を企んでいるのか。

「さあ、まずは特別価格5000万から!」

司会者の合図によって、「5500!」「6000!」「7000万!」「9000万!」「1臆」「2臆5000万!」などと、客席から提示が上がりはじめた。さすが、“お姫様”だけあって、一般の人間に与えられる額の10倍の定価だ。特別と言っているあたり、あれでもオークション側なりに値下げしたのだろう。
スポットライトに照射されたお姫様は、無言を貫き、まぶたを伏せながら、じっと俯いていた。取り乱すこともなく、震えることもなく、他の人売商品とは違い、沈着で、無風だった。
何故だ。何故、あそこまで落ち着いていられる。買われたとしても、遁走する策があるのか。あの女から漏れる余裕は尋常じゃない。
俺がそうして、愕然としていた時――。

「10億!」

予想だにしなかった大金に、会場が森閑とした。みな、10億という莫大な数字に呆然としている。
いくら億万長者の集いとはいえ、10億を懐から手放すことはそうそう無い。大物を狙って準備をしてきただけのことはある。
俺と相棒は、すかさずそいつに目を光らせた。

「えー……10億以上は、ありませんか?」

おそるおそる、司会者が問うた瞬間――。

 

「20億」

 

10億をコールした男が汗を流し、こちらへと顔を泳がせる。
これには会場の客も、司会者も驚愕。相棒も、唖然としていた。

「聞こえなかったのか? 20億で、その女を買うって言ったんだよ」





「おい、どういうつもりだよ」

眉間に皴を寄せ、何を考えているんだと言わんばかりに、相棒がつかつかと歩み寄ってくる。俺はいつもの素っ気無い態度を返した。「あ?」

「お前が何で人類売買で買い物なんかしたんだよ。俺たちは仕事の為にこの会場に来てるんだぜ。しかも20億なんて……」
「俺が自分の金をどう使おうが、お前の知ったことじゃないだろ。それに、あの女を手元に置いといた方が、ターゲットを狙いやすい。仮面の下が本人だとも限らねーし、のこのこと自宅へ帰るかどうかも謎だ」

闇社会の人間なら、分かり易い手口を使うことはほぼ無い。あえて、裏をかくようにそういった手法を逆手に取ることもあるが、基本的には用意周到で用心深い。
当然のことを言ったのにもかかわらず、相棒はフッと鼻で笑った。「それともなんだ――惚れたか?」

「そんなんじゃない」

即答する俺に構わず、その表情を窺うことのできない相棒が続ける。

「お前だって男だ。女に惚れるのは普通のことだぜ」
「違うって言ってるだろ」
「はいはい。10億の男の追跡は俺がやっとくから、後はお二人でごゆっくり~」

相棒はクツクツと楽しそうに笑いながら、その場を後にした。
その数分後、例の商品が俺のもとへ渡された。
司会者に案内をされたお姫様は、相変わらずの虚静恬淡でこちらへ近づいてくる。ティアラを飾らないプランセス。真っ黒なドレスが、その白い肌に映え一層不気味さが増している。スローモーションのように、漆黒の毛並みがふわふわ揺れ動く。柔らかく靡かされるその毛並みは、お姫様が足を止めると同時に、その華奢な体を包み込んだ。
彼女の第一声は――「あなた、オークションの参加者にしてはどうも胡散臭いわね」

「……は?」

思わず、間抜けな声が出てしまった。
女は上目遣いで俺を見据えながら、続ける。「純粋にわたくしを欲しがってるわけでもなさそう。どうして私を買ってくださったのかしら? 目的は何? 何か捕らえたい獲物でもいるのかしら? 私はその餌?」
なんて、憎たらしい口を利くのだろう。初めましてのひとつもない。

「人が売られてる場で、よくもそうやって平然としていられるな」
「まあね、これが初めてじゃないから。過去に6度くらいあったかしら。オークションで売られるのは4度目ね」

ああ、だから堂々としていられたのか――と言うのもどうかと思うが。
少し合点がいった俺は、その真っ赤な瞳を見つめ返した。
冷血で、残酷な色をした血色の瞳。
同時に、妖艶で麗しいルビーの瞳。
その妖しい瞳に、吸い込まれそうだった。

「あなたも、私なんかに20億を無駄に使ったことを、あとで後悔するわ」

ムカツク言い方だが、誰もが欲しがっていた物を、後で無駄遣いをしたと後悔する。つまり、過去に度々そんなことがあったということか。

「どういう意味だ」
「私を買った下種共は、必ず私を捨てる。みんな、私のことを知らなすぎるのよ」

クスッと、自分自身に嘲笑うかのように、女は口先に指をあてがう。「そして拾われ、売られ、買われ、また捨てられる。その繰り返しよ」

「私のような価値のない女、よくそんな大金で買えたわね。ある意味、尊敬しちゃう」

これほど若い女なのに、オークションに売られることも、買われることにも、畏怖の念を感じていない。自身を蔑み、感情を失い、死すら恐れていない眼をしている。「伝説の姫」という異名が、一人の少女の人生をこれほどまでに崩壊したのか。本来なら同情に値するところだが、あまりの無神経さに感心すら抱いてしまう。

「口うるさいお姫さんだな」
「お姫様じゃないわ。もうずっと前からね」

ということは、本当にお姫様だった時があった。つまり王族の娘。王家の血を引いているのに、身分を剥奪された原因はなんなのか。
少し気になるところではあったが、女は話をすぐに逸らし、ドレスの裾を両手で摘み上げ、頭を下げてかがみこんだ。

「私はあなたの“奴隷”。あなたが私を捨てるまでの間――「主」の仰せのままに、なんなりと」
「お前の言うとおり、買収した理由は餌付けだ。目的のもさえ手に入れば、お前は用済みだ」
「あら。目的のものが何なのかは存じ上げませんが、なるほど。餌に20億も使うだなんて、滑稽ですこと。とんだ無駄遣いね。金銭感覚がズレていらっしゃるのかしら?」

クスリと嘲笑する表情も、妖しいが、麗しい。
ここまでひねくれているお姫様は、おそらく史上初だろう。まあ、先の話を聞いている限り、こうなっても別におかしくはないのだろうが、これほどの嫌味を口にして、主人を逆上させたいのだろうか。

「お前の、呪いの話をしてくれ」
「あら? あなた、私のことを知らないの?」
「どんなに有名なお姫さんでも、興味が無いものは無い」
「珍しい人もいるものね。いいわ、教えて差し上げる。私は日付が変わる時間になると、踊るのよ」

胸に手をあて、淡々と語り始めた。
世界が闇に包まれ、か細い月の明かりがこの世を照らしたとき、彼女の体は自由を失い、月が沈むまでバレエを舞うという。眠ることも許されない。人間は日中で活動するため、太陽が昇っても主人の命に逆らうこともできず、体は休まらない。

「2人ほどいたかしら。睡眠も食事もさせてくれない下郎のご主人様が。ガリガリに痩せきっていたのに、それでも呪いには逆らえない。気絶していても体は舞い続けるの」

世間話のように、体験談を淡白に語る。そんなことすら割り切っている、この女の神経を疑った。
現在、時刻は11時を過ぎている。今の話が本当ならば、踊った状態のまま連れて行くことはできないため、タイミングがよかった。
俺はようやく、鬱陶しい仮面を外し、女を隠れ家へと連れ帰った。外観はボロ家だが、メインホールを越えると大きな庭があり、そこには色鮮やかな花が咲き、小鳥も寄ってくる。2階には街全体を遠望することができるバルコニーもあれば、部屋は広くてベッドもキングサイズ。ただ、夜間には電気がない。その空き家を、勝手に乗っ取り、勝手に住み込んでいる。
幼女時代では城に住んでいたこともあり、今までは金持ちの屋敷に飼われたお姫様のことだから、何か文句を言ってくるかと思ったが、意外にもあっさりと受け入れ、何も言われなかった。代わりに、「私のことは20億で買ったくせに、ボロ家なのね」と、皮肉めいたことを言う。
言われたことはごもっともだが、俺はしょっちゅう仕事で留守だし、電気も必要ない。家賃も支払うこともなければ、電気代もガス代もかからない。俺には住みやすい場所だ。

「俺の隠れ家だ。お前にはしばらくここにいてもらう」
「そう」
「俺は仕事があるから出る。好きにしてろよ」
「……わかったわ」

その間合いに、戸惑いの色が垣間見えた。その事由を、俺は知る由もないだろう。
俺は女をその場に置いて、相棒に連絡を取った。










例のターゲットについて情報交換をするため、適当な場所で落ち合った。

「あのお姫様を一人にして平気なのか? 逃げたらどうするんだよ」
「その心配はないだろう。逃げたところで、どこにも行く場所がないさ」

相棒が10億をコールした男を追跡したところ、人気の無い場所に移動し、こっそりと、とある建物の裏口から人目を気にして侵入し、本人は二度とそこから出てこなかった代わりに、別の男がその建物から出て来たと言う。
やはり本人ではなかったか。
その後も相棒は追跡を続けていたが、中心街までやって来ると、溢れる人々の合間を潜り抜け、姿を見失ってしまった。
10億という数字も有り得ない金額ではあるが、億万長者のコレクターであれば10億以上は備えていると、俺は少なくとも思っていた。俺が20億払えたくらいだ。
つまり、それだけでも疑いの人数が絞られてくる。貴族か、資産家か。

「別に、お前がそこまでしなくても、10億のヤツをうまく利用してもよかったんじゃないか」
「無駄な殺生や犠牲は避けたい。誰彼、死ねばいいって思ってるわけじゃねーよ」
「まあ、それもそうだな」
「俺は別件がある。その男のことはお前に任せていいな?」
「構わないけど……いいなぁ、皆、あんたに殺して欲しいんだな」
「羨ましがるところが違うだろ」
「俺も暗殺技術は取得してるのに、頭脳派だからって情報収集ばっかさせられる」
「人には得意不得意があるだろ」

無駄話はそれくらいにして。
別件とは、数日後の、とあるイベントで標的を暗殺することだった。詳しいことは聞かなかったが、イベントの最中に殺すことで、あえて騒ぎを立てるのが依頼人の要望だった。依頼主本人が何をするかは知らないが、支払いを終えた以上、俺は頼まれた仕事を遂行するだけだ。
俺は残り少ないコーヒーを煽りながら、見開きにした新聞紙に目を向ける。そこにデカデカと書かれていたのは、ここ数ヶ月で何十人もの女性が行方不明になっている記事だった。

 








 

深夜1時頃。ボロ家のメインホールに顔を出すと、すでにお姫様は踊り始めていた。俺は物音を立てずに、近くにあった椅子に腰を下ろし、その様子を眺める。
女の体を包容する漆黒の毛並み。手足と共に踊り抜くドレス。緩やかな動きが目立つ手足。時に力強く、時に弱弱しく。女の不気味な風貌とは裏腹に、なんと清楚で、美しい。

「あら、帰ってたの」

俺の存在に気づいたお姫様は、くるくると回転しながら付け加えた。「今日はとても綺麗な満月よ」
満足に夜空を観測することもできない彼女は、まるで闇に消えていくように、庭からどんどん離れていった。俺は椅子に上着を無造作に投げ捨て、庭へ近づいた。普段、見ることのない光景を眺めている。いつもは気にならない、俺の家に差し込む月明かりも、すぐそばで絶えず舞っている女の姿も、不思議と慣れない情景ではあるが特に違和感を抱くことはなかった。
“呪い”とは、相手の体を乗っ取り、蝕む。何度か見るには問題ないだろうが、これを毎晩見続けるのも飽きが来るものだろう。この呪いと常に隣り合わせである本人だって、それを嫌というほど理解しているはずだ。

「その呪いを解くことは出来ないのか?」
「なあに? 方法があれば、私を助けてくれるの?」

そういうつもりで言った訳じゃないが、方法があるのなら何故、自分から解こうとしないのか気になった。
その答えが、この女の口から零れ落ちた。「無駄よ」

「この呪いを解く方法なんて皆無に等しいわ。茨姫や白雪姫のように、王子様がキスをしてくれれば解けるような呪いではないのよ」

片足を地面に押さえつけ、両腕を掲げながら華麗に旋回する。回転を終え、腕を何かに差し伸べるようにしながら、なめらかにまた回転がはじまる。

「俺が、楽にさせてやろうか?」

散々、嫌味を言われた仕返しに、俺は少し脅迫してやろうと銃を彼女に向けた。少しは従順に応じてくれるかと思ったのだが――「今ここで殺されて死ねるのなら、どれほど幸せなことかしらね」
俺の予見をはるかに超えた答弁をした。

「どうしたの? 殺さないの?」

この女、易々と――。

「無抵抗な女を目の前にして引き金を引けないだなんて。あなたが優秀な殺し屋だなんて、高が知れてるわね」

と、俺の怒りをつつくように毒突いた。

「俺は無駄な殺しはしない。それに、買ったばかりの20億の品をそう簡単に殺すかよ」
「そうね。20億も使ったんだものね。私なんかのために」

……ムカツク。お互い、少しは穏便にできねーのかよ。
苛立ちが増して、その美しさも忘れ、女を鋭く睨んでいた。

「しばらくの間とはいえ、私はあなたの奴隷なのだから、言われたとおりにするわよ。もっとも、私にできることなんて、踊ることか、抱かれることくらいだけど」

王族の娘として生まれたはずなのに、呪いをかけられ、身内を失い、頼る人間もいない、食事も睡眠もろくに与えられず、奴隷として生き、女を奪われ、すべてを一人で背負いこんで――。
これだけ悪態を言洩らされてるのに、この女の、言い様の無い後ろ姿や、無欲恬淡な横顔を見ると、何かに囚われてしまう。

「お前、名は?」
「ローザネーラよ」

“闇色の薔薇”を咲かせる者として、闇社会ではそう名付けられたと、相棒が教えてくれた。

「それは二名称みたいなもんだろ。お前の本当の名前を聞いてる」

今度はまともな質問をされ、女は驚いたのか、咄嗟に振り向いた。しかしすぐに目を伏せ、

「……名前なんて無いわ。お好きにお呼びくださいな。犬とでも、奴隷とでも」

どこまで、“人”としての自分を貶める気なのか。
今までの女なんて、頭が悪いくせに服と化粧に金を掛けて媚を売る。抱いて欲しいから抱いてやったのに、一度限りの関係に泣き崩れるか、しつこく付きまとうか。
だがこの女は違う。こんな女、生まれて初めて見る。

「お前だって人間なんだ。この世に生まれたんなら、名前くらい持ってるだろ」

女はしばしの間、黙り込んだ。

「……メルセデス」

女は、俺と視線を合わせようとはしなかったが、「名前なんて、何年ぶりに名乗ったかしら……」と、心の声がぽつりと零れていた。

「お前の名前くらいは覚えてやる。だから、お前も俺のを覚えるんだな」

“ご主人様”なんて言わせない。
俺の名は――「ジーヴァ」。