任務は上々。
別件を終え、報告書を上司に提出してきた。日が沈む前に仕事を切り上げることができた俺は、柄にもなく勤務中に寄り道をして買った、大きめの箱をわき腹に抱えてさっさと帰宅した。
ボロ家の重厚な扉を大胆に開き、ホール先にあるボロボロの柱に背をもたれながら、庭の美しい光景を眺めているお姫様に声を掛けた。それに対して素直に振り向くも、俺をねめつけながらつっけんどんに「何かしら」と答えてくる。愛想の悪さは相変わらずだ。
俺の上着にべっとりと貼りついた返り血を見て、メルセデスがクスッと嘲笑し、目を細めた。

「派手にヤッたようね。血が甚だしいわ」

それに対しては特に反応せず、血で汚れたコートを脱ぎながら、メルセデスに箱を差し出した。

「土産だ」
「なあに? 生首?」

せせら笑いを浮かべて冗談めいたことを言うメルセデスは箱を受け取ろうとせず、代わりに俺がその蓋を開けた。
中から姿を現したのは、メルセデスの瞳のような――真っ赤な靴。
メルセデスは少し驚いたように、目を見開いた。息を殺してしまうほど、彼女は我が目を疑っているようだ。

「お前、ずっと裸足だったろ」

いつからかは、知らないが。
俺は彼女の前に跪き、勝手にその片足を手に取る。そのとき、彼女の足裏が、ひどく硬くて乾燥し、変容していることに気付いた。が、特に勘案せず、その小さな足に赤い靴をはめる。サイズはぴったりなようで、すっぽりと嵌った。
メルセデスを見上げると、当の本人はいまだ茫然自失の体で、靴を見つめている。

「どうした? 赤は嫌いか?」
「……違和感があるわ」
「履き慣れてないのか?」
「靴なんてほとんど履いたことないもの」

まさか「履いたことがない」は、的外れな回答だった。
メルセデスはどこか哀愁漂う面持ちで、俺に問う。それは、今まで高飛車な態度ばかり取っていた彼女から、初めて見せられた別の表情だった。

「汚いでしょ? 私の足」

ほとんど靴を履いたことがないなら、この有様は合点がいく。
恐らくだが、原始人の足ってこういうフォルムなんじゃないかと思う。骨もまるで変型しているようで、皮膚の硬さも尋常じゃない。素足でバレエを踊っていたせいで、爪足はボロボロだ。あちこちを裸足で歩き、血が滲むような生活をしてきたのだと考えると――。

「いや。お前の苦労が伝わる、逞しい足だ」

そんな言葉が、口から出て行った。
そんな彼女は、言葉を失っていた。
互いの間に、しばらくの沈黙が流れる。

「……いらないわ。心地が悪いもの」
「せっかく買ってきたのに、勿体無い」
「別に頼んでないのだけれど」
「まったく、可愛げのないお姫さんだ」

仕様がなく、メルセデスの足から靴を脱ぎ取り、再び箱の中へと戻した。お蔵入りとなった箱を適当な場所に片していると、メルセデスがぼそっと声を漏らした。

「……どうして、ここまでしてくれるの?」

そこまでやっているつもりはない。
が、靴すら・・与えられなかった彼女にとって、こういった些細なことですら、そこまで・・・・のものなのだろう。

「別に。出来心だ」
「そう」

短く吐き捨て、メルセデスは再び、外へと視線を移した。
俺は彼女の隣に立ち、同じく、空っぽな庭園を眺める。

「俺はてっきり、お前みたいなもんは贅沢ばっかして生きてんのかと思ってたよ」
「みんな、今は贅沢してるわよ」

「今は」という点が気になった。そして「みんな」とは誰のことを指しているのか。

「各国の王が集結する議会で、同伴として訪れた彼女たちと話をしたことがあるわ」

俺が知っている限りでは、王族の間に出生した娘は、みな「姫」と敬称される存在。そして「王子」は、王の子弟として生まれ、王位の継承権を有するが、まだ国王として即位してはいない男のことを言う。この二つの存在が婚約をすることで、初めて“王”そして“王女”という呼称を受け継ぐ。
その安易な説を踏まえ、俺は淡白に語り出すメルセデスの話に耳を傾けた。

「シンデレラ」

別名「灰かぶり姫」とも呼ばれ、いずれも「燃え殻」「灰」を意味する。シンデレラは、継母とその連れ子である姉たちに日々虐められ、召使いのように日々働かされ、孤独な生活を送っていた。
ある日、とある城で舞踏会が開かれた。王子にお目にかかれる貴重なパーティーだ。シンデレラも胸を弾ませたが、本人にはドレスが無かった。シンデレラは自分なりにドレスを手作りするも、意地悪な姉たちに無残にも破り捨てられる。泣き崩れるシンデレラの前に現れたのは、心優しい魔法使い。彼女を美しいドレスで着飾り、かぼちゃを馬車に変え、舞踏会へ向かうように告げた。ただし、午前零時には魔法が解けてしまうので、除夜の鐘が鳴る前に、帰ってくるようにと警告される。
そしてシンデレラは、城で王子に見初められ、共にダンスを踊ったのだった。しかし、約束の時間が訪れると、シンデレラは王子に別れを告げ、慌てて階段を駆け下りる。その際に落としたのが、履いていたガラスの靴だった。
翌日。王子はガラスの靴を手掛かりに、シンデレラを捜し始めた。パーティーに参列した女性たちをかき集め、一人一人に靴を履かせたのだった。意地悪な姉たちも含め、シンデレラの落とした靴は、本人以外の誰の足にも当てはまらなかった。
こうしてシンデレラは、王子と結婚した。

「ブランカネーヴェ」

別名「白雪姫」とも呼ばれ、雪のように白い肌、赤い唇、黒い髪を持つ少女。
彼女の継母である王妃は、自分が世界で一番美しいと信じていた。ある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は誰?」と聞くと、鏡は「ブランカネーヴェだ」と答えた。王妃は怒りのあまり、猟師にブランカネーヴェを殺し、心臓を持ち帰って来るように命じる。しかし、ブランカネーヴェを殺すことができなかった猟師は、彼女を森の中に置き去りにし、イノシシの心臓を変わりに取って帰ったのだった。
一方でブランカネーヴェは、森の中で七人の小人たちと出会い、共に暮らし始める。しかし、王妃がブランカネーヴェはまだ生きている事を知ると、王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って、毒林檎をブランカネーヴェに売り、彼女は死の果実にかじりついた。
帰ってきた小人たちは、死んでしまったブランカネーヴェを見て、悲しみに暮れ、彼女をガラスの棺に入れる。そこへ、王子が通り掛かり、ブランカネーヴェを一目見るなり、死体でもいいからと彼女を貰い受ける。家来に棺を運ばせるが、そのうちの一人が躓き、棺が揺れた拍子にブランカネーヴェは喉に詰まっていた林檎のかけらを吐き出し、息を吹き返した。

「ソルン」

別名「茨姫」、または「眠れる森の美女」とも呼ばれている。
国王夫妻が女子を授かり、当日に開かれた祝宴に、国中の12人の魔法使いが呼ばれた。魔法使いたちは子供に贈り物をするが、宴の途中、一人だけ呼ばれなかった13人目の魔法使いが現れ、11人目の魔法使いが贈り物をした直後に、“姫は錘が刺さって死ぬ”という呪いを掛けてしまった。まだ贈り物をしていなかった12人目の魔法使いは、「姫は錘が刺さっても永遠に眠るだけ」という呪いに変えた。
国王は、国中の紡ぎ車を燃やし、すくすくと育っていった姫は十五歳を迎えた。ある時、姫は城の塔の最上階で、老婆が紡いでいた錘で手を刺し、眠りに落ちてしまう。呪いは城中に広がり、茨が繁茂して誰も入れなくなった。
数年後、国外の王子が噂を聞き付け、茨を切り落とし、城を訪れる。王子のキスによって、姫は目を覚まし、二人はその日のうちに結婚し、幸せな生活を送った。

「ラプンツェル」

別名「ノヂシャ」とも呼ばれている、妊婦が食べるのに良いとされる植物である。
子を授かった王妃は、隣に住む魔女の庭のラプンツェルを食べたくて堪らなくなる。夫は魔女の敷地に忍び込み、ラプンツェルを摘みに行くが、魔女に見つかってしまう。夫から事情を聞いた魔女は「好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら自分に渡せ」と命じた。やがて生まれた女子は、魔女に連れて行かれたのだった。
ラプンツェルと名付けられた娘は、森の中に築かれた入り口のない高い塔に閉じ込められる。魔女はラプンツェルの長い金髪を梯子代わりに、窓から出入りしていた。
ある日、とある王子が塔の中に閉じこめられたラプンツェルを発見。魔女と同じ方法を使って塔に登り、二人はやがて相思相愛となる。度重なる出会いに、ラプンツェルは子を身篭ってしまう。このことを知って激怒した魔女は、ラプンツェルの髪を切り落とし、荒野へと放逐。それを知った王子は絶望し、塔から身を投げて失明する。
数年後、森で子供たちと暮らしているラプンツェルと巡り会った王子。彼女の涙が王子の目に落ちたことによって視力が回復し、二人は子供と共に国へ帰り、皆で幸せに暮らしたのだった。

「どう? なかなか運命的でしょう?」
「ああ、そうだな」
「お姫様はね、どんなに苦労をしても、最後には必ず幸せが約束されているの。……でも私は違う」

そんな幸福は訪れない――と、メルセデスは頑なにそう言い切っている。「私は――」
俺が20億で買収したお姫様。どんな時も絶やさない凛々しさ、顎を引いて、目を見据える姿勢。それとは裏腹に、血のような瞳と、闇のような漆黒の毛並みと、茨のような棘のある発言、ふと見せる不気味な笑み。
そんな、お姫様は――。

「国王と魔女の娘なのよ」







 

夜も更け、既にメルセデスが舞っていた。ボロ家でも、ホールの柱の間から眺められる情景は最高だ。そこから差し込んでくる月の光がメルセデスを神々しく照らし、銀色に光輝く埃がメルセデスの動きに合わせて宙に散る。
俺は胸のポケットから煙草の箱を取り出し、下を軽く小突くと、中から顔を出した一本を口に咥えた。マッチで火を点けると、再び彼女に視線を泳がす。
体は活きていても、彼女自身はまるで生きている屍。見えない糸で全身を操られているかのようだった。
アン・ドゥ、と、両足を外へ開き、止まない舞にメルセデスが切り出す。

「ローザネーラ」

別名「闇色の薔薇」とも呼ばれている。
ある日、国王夫妻が女子を授かり、幸せな日々を過ごしていた。しかし、姫が十六歳を迎えた頃、事件は起きた――妻の王妃が、実は魔女であることが判明したのだ。本来、魔女は王族の敵。そのため、魔女が国王と結婚をするというのは、天地がひっくり返っても有り得ない事なのだ。
二人の出会いは、とある晩の森林の中。
王子が夜の狩りに出かけていた時、右肩に大きな傷を負った魔女を発見。王子は咄嗟に銃を向け、殺そうとするが、弱っている魔女の美しさに一目惚れをし、傷の手当てをした。魔女はその恩として、「次に会った時は殺さない。その次は、お前を殺す」と宣言した。しかし、魔女のことが忘れられない王子は自ら森へ向かい、二度も魔女へ会い行った。魔女も王子に惹かれ、他国の姫だと偽って結婚。
王は、魔女と結婚したことによって処刑され、王妃は牢獄で拷問を受け、火炙りの刑で公開処刑された。その子であるローザネーラは魔法使いによって、今の呪を掛けられた。
躍らせることが・・・・・・・目的ではない――日中は主人によって働かされ、夜間は呪いによって眠ることすら許されない。意識が落ちていても体は舞い続ける。つまり、常に脳が働き続けていて、メルセデスにはごく僅かな休息も与えられず、身体的、そして精神的苦痛を与えられている。

「皮肉なものでしょう。シンデレラの継母、ブランカネーヴェの継母、ソルンの魔法使い……魔女はどちらかしらね。今の時代、私を除いて魔女や魔法使いは、もう滅んだけれど」

そこでふと、俺はあることに気づく。

「……ちょっと待て。それはもう200年も前の話だぞ」
「ええ、そうよ」
「おかしいだろ。それが本当なら、お前は――」

なんとなく話を聞いていたが――。
シンデレラ、ブランカネーヴェ、ソルン、ラプンツェルといえば、現、各国の王の祖母にあたる。

「魔女はエージレスなのよ」
「…………」

200年以上も、この呪いに苦しみ耐えているのか。

「自ら命を絶とうとしても、それもまた呪いで阻まれる」

だから出会った当初は、「どれほど幸せなことかしら」と言ったのか。
永遠の罰を受けながら生きる。それは最早、「生」の領域ではない。死ぬことも許されず、生きることも許されない。
時折、漂う不気味なオーラや笑みは、母から受け継いだもの。今まで様々な女に会ってきたが、王族の娘が自分の目の前に居るなんて、男からしては夢のような話。しかしヒットマンの俺から見れば、例え魔女であっても、汚れたお姫様でも――その妖美は他の女とは比べ物にならない魅惑がある。
俺は長い時間をかけて踊り続けるメルセデスから、目を逸らせずにいた。
酒を飲んでもいないのに、不思議と今晩はついつい口が滑ってしまう。

「アンタは、何を憎んでいるんだ?」
「何もかもよ。この呪いを、あの魔術師を、主人たちを、両親を……人間を」

アン・ドゥと、華麗に舞いながら、淡々と語る。「でも、最も憎んでいるのは、私自身」

「私の体なのに、呪いに負けている無力な私が一番キライ」

次のステップを決めたメルセデスに、俺は次の質問を投げかける。

「アンタは何故、戦わなかった。魔女なら魔法が使えるんだろ? 何故――」

らしくもなく、少し熱くなった。

「何故、諦めた」
「罪の子だから」
「違う」

ガタリと乱暴に椅子から立ち上がって、メルセデスに近づいた。
メルセデスは不思議そうに、目線だけで俺を見つめている。

「アンタはただ、この世に誕生した一人だ。人間どもは、両親の罪を無実のアンタに押し付けた」

メルセデスは面食らったように目を見開き、かすかに開いた口を塞がなかった。
すっと俺から視線を外したメルセデスが今、何を考えているのか、俺にはわからなかった。
それ以上、追い詰めずに俺は口を噤んだメルセデスのダンスのタイミングを見計らい、そっと彼女の片手を掴んだ。

「何をするの」
「俺も踊る」
「え……?」

躊躇するメルセデスに対し、俺はひとりでに動く彼女に合わせた。ツーペアでバレエなんて無理があるが、曲がりなりに挑戦しようと試みた。しかし、特に力ずくでバレエを踊るのではなく、とにかく体を動かしていれば良いのだと知った。とはいえ、そこまで自由が利くわけでもない。
何とかワルツに切り替えようと、メルセデスを引き離して回転させたり、俺のもとへ抱き寄せたり。音無しの空間でメルセデスの舞踏の相手をする。形はワルツだが、やはりメルセデスの手を放すと彼女だけがバレエに戻ってしまう。
バレエなのかワルツなのか、最早不明だが、そんな出鱈目なダンスが、いつまでも続いた。
陽が昇り始めた頃――メルセデスの足がピタリと止まる。

「私といると、あなたは不幸になる」
「 ? どういうことだ?」
「私を買ったご主人様たちは、みんな不幸になっていったわ」

ある者は、屋敷が焼け。ある者は、職務を失い。
ある者は、家族を失い。ある者は、命を落とされ。
ある者は、財産を失い。ある者は、手を汚し。
ある者は、想像もできない凄惨な人生を終えた。
まるでトランプの「ジョーカー」のような、タロットカードの「死神」のような、「不幸」を司る存在。魔女は、そういった災いを呼び起こすとも世間では言われているが。

「それも違う」

血筋は魔女でも――俺はきっぱり否定した。

「アンタは不幸を齎すんじゃない。アンタを傷付けた報いを、あいつらは受けたんだ」

メルセデスはパッと顔を上げ、また言葉を失った。

「……そんなこと、考えたこともなかったわ」

自分を蔑むことが、あまりにも当たり前になっていた。
子供の頃から自分は「罪の子」だと称され、罵倒され、居場所も失い、頼れる人もいない。近寄ってくる者は当然のように、彼女を己の利便のために、見世物のために扱うため。
それでもまだ気丈でいる。魂消たものだ。

「あなた、変なことばかり言うのね……変わってるわ」
「お互い様だろ」

するりとメルセデスの手が俺の手の中から抜け、その腕はだらりと垂れ下がる。目線を下へ落とし、ぽつりぽつりとメルセデスは語り続ける。

「“この人は私を求めてくれている”……呪いを持った私を、少しでも必要としてくれるなら、私はバレエを何度だって踊っても構わなかったわ。でも、人間は結局、腐ってるのよ。孕んだ子を産むことも許されなかった」

メルセデスが今までどんな風に生きてきたのか、その待遇や心境。彼女の発言からいくつかは想像がつくが、それでも俺には想像しかできない。メルセデスの本当の気持ちなんて理解できない。俺は男であって、ヒットマンであって、年も若い。理解しようとするほうが無理な話だ。
ローザネーラ、か。ローザは薔薇、ネーラは黒を差す。また、“薔薇”は“愛の象徴”。“黒”は“不幸”や“死”などの象徴である。それが、このお姫様の二名称。“自由”という名前を持っているのに、“束縛”に身を置く女。
ふと、俺はあることを思い出した。
一度、メルセデスから離れ、ボロ家具の扉の中に放置してあった物を手に取り、元いた場所へ戻る。手の平に載せて彼女に差し出したのは――薔薇を象ったブローチ。
しかし、メルセデスは受け取らず、ただそれを見詰めているだけだった。

「受け取れよ」
「…………」

メルセデスは戸惑っていたが、靴のときみたいに拒むことはしなかった。
俺はブローチを持ったまま手を伸ばし、メルセデスの左側の耳の上あたりに、挿し入れた。

「アンタは美人だから、赤い薔薇がよく似合うな」
「……花は好きよ。子供の頃、お庭で育てていたもの」
「へえ。なら、この庭でガーデニングをやってみるか? 陽当たりもいいし」
「あなたって本当に変な人ね。殺し屋なのでしょう?」

そこで初めて、メルセデスの表情が和らいだ――気がした。

「殺すばかりが、殺し屋じゃねぇよ。それに、仕事で殺してるだけだ」
「その眼帯も、仕事で?」
「ああ。目玉をぐちゃぐちゃにされた」

メルセデスがそうしてくれたように、俺も淡々と自分の過去を語り出した。
陽が昇る風景を、二人、庭に腰を下ろして見晴るかす。
メルセデスは、ペラペラと喋る俺の話に、静かに耳を傾けていた。

「俺の家は貧乏でね。子供の頃、一切れのパンを盗んだことによって、パン屋の主に家を燃やされたよ。両親も兄弟もみんな死んだ」

自分が生まれた町は、貴族の手によって保護されていた。だが、どれだけ働いても、どんな労働に耐えても、もらえる給料は微量。兄弟が何人かいた俺の家庭では厳しい食生活だった。親は子を気遣って何も口にしないことも多かった。そんな両親に、少しでも腹を満たせてやろうと取った行動だ。
だがそれは失敗に終わった。

「それからは日々荒れてたな。そしたら、ある日、ある男に拾われた。殺し屋になったのはその時だ」

なんの目的であの町に訪れたのかは覚えてない。
覚えているのは、あのとき、全身黒ずくめの男が、顔中に痣を刻まれ号泣していた俺を、じっと見下ろしていたことだけだ。冷酷で鋭い目付きに慄いたから、今でも覚えてる。

「人間って面白い人種だぜ。そんなことで人を殺そうとするのか、ってことがよくある」

金もあり食べ物もあり、家族も恋人も友人もいる。だがたったひとつのことが原因で、その恨みはいずれ憎悪へと移り変わり、人の感情は膨張し出す。そして自分自身の手を汚すまいと、金と引き換えに、俺たちに「殺してくれ」と頼み込んでくるのだ。

「ヒットマンは、感情で動いちゃいけねぇ。けど、俺は一度だけその掟を破ったことがある。パン屋の主を私情で殺したんだ。もちろん、その後はボスに仕置きを食らったがな」

確かに盗みは犯罪だ。今の俺が言えた義理じゃねぇが。
けど、たった一切れのパンの代償が、俺の家族と家だなんて、許せなかった。

「……それで、今回の仕事は?」

ずっと黙って話を聞いていたメルセデスが、どこかおぼろげな声で、そう問うた。

「残念なことに、今はターゲットの素性がほとんど分からない。知っていることは、おおよその年齢と、アンタを欲しがっていることだけだ」
「そう。そういえば私は餌付けのために買われたのだったわね」

彼女は、それきり黙り込んでしまった。
俺たちの間に、少し気まずい空気が流れる。
それを断ち切ろうと、話題を変えた。

「なあ、“黒い薔薇”って本当に存在するのか?」
「黒い薔薇……ね」

黒い薔薇。いわば「ローザネーラ」。
相棒からは、土から生まれる花ではない、と聞いているが、植物というのは土と水と日があって生を授かる物。
“呪われた姫”だけが咲かせることのできる闇色の薔薇、その説は取り取りだ。
ひとつは、「美しい漆黒の毛並みを持った姫が育てると、黒く咲いてしまう」と。
ひとつは、「血色の瞳を持った女性は、赤い薔薇を闇色に染め上げてしまう」と。

「あなたの言うとおり、闇色の薔薇は存在するわ」
「アンタは見たってことか?」
「花が見えるわ」

質問に答えず、急に噛み合わないことを言い出すから、俺は首を傾げた。「……?」
メルセデスは俺に顔を向け、じっと、目ではないところを見詰めている。俺の周りに何かあるのか。俺は掌を見下ろしたり、背後を振り返ったりしたが……。

「あなたの周りに、朽ち果てた蕾の花が。……いいえ、一度咲いた花が閉じてしまったのね。そして散ってしまった。でも、新しい芽が出ているわ」
「は?」

言っていることが不得要領で、思わず声にまで出てしまう。
メルセデスは詳しく教えるつもりはないのか、「ふふ、似合わないわね」と、くすくすと笑っているだけだった。俺は説明してもらおうと追及しようとしたが、メルセデスは咄嗟に話題を変えてしまい、タイミングを失う。

「魔女のことは、どこまで知ってる?」

とんとん拍子に切り替わる話に、俺は少し不服に思いながらも、メルセデスの問いに答える。

「いいイメージはないな。人間離れした魔力と、悪女と言えるほどの性格の悪さ」

そう言うとメルセデスは目を伏せ、まるで童話を語るように言葉を零した。「昔々、あるところに」

「美しい庭園で暮らす一人の少女がおったそうな。正義感が強くて、曲がったことが大嫌いな女の子でした。花が大好きな少女は、毎日毎日、神様のために花を育てていました。ある日、少女はいつものように庭園へ水やりに出かけました。そこである光景を目にしました。三人の少年たちが、禁断の実を食していたのです。神しか許されていない果実を食べていた少年たちに、少女は言いました。『神様に告発する』と。それを聞いた三人の少年たちは、少女を捕らえ、純潔を奪ったそうな。そして強引に、禁断の果実を食べさせました。少女は純潔を失ったこと、そして禁断の果実を口にしたことによって『天界』を追放されました。堕ちた先は『地獄』でした。少女は清らかな心を捨てず、地獄に立ち向かいましたが、悪魔たちにたくさん虐められました。悪魔と交わり、魔力を身につけました。少女の憎悪は膨張し、やがて花のように可憐な姿で、末恐ろしい魔術を身に着け――“魔女”が誕生しました」

俺は茫然として物も言えなかった。

「その数十年後、“魔女狩り”が始まったわ」

まぶたを上げ、メルセデスが地面の小花に視線を落とす。そしてそっと、細長い指でそれを撫でた。

「花はすべてを語ってくれるの。彼女たちは世界を観ているのよ。その辺に咲いている小さな花だって、私たちのことをじっと観ている。殺すだけが殺し屋じゃない――魔女だって、誰彼構わず命を奪うわけじゃないわ。身を護るために、生きるために進化を遂げただけ」
「…………」

ふわりと生暖かい風が俺たちの髪を煽る。まだどこか薄暗い空から、小鳥のさえずりが聞こえた。
200年も前の話とはいえ、魔女や魔法使いは実在した。俺の隣にいるお姫様が、本当は魔女の末裔であること。予測はしていたものの、改めて事実であると実感が湧くと、今この瞬間がとても不思議だ。
俺はとんでもない女を、この家に招き入れたのだ。

「花は外見こそ美しく、可憐だけれど、棘があり、毒がある。花の寿命は短くて儚く、最期には無残に朽ちるわ」
「魔女は外見こそ美しく、可憐だが、相手を害し、死すら与える。だが魔女狩りによって、無残に朽ち果てる」

魔女の誕生。そして末路。
なんと、悲しき宿命。

「人間を憎み、国王を受け入れた魔女。魔術を恐れ、魔女を受け入れた国王。運命的だな」
「そうかしら」
「だから、アンタが生まれた」
「…………」

メルセデスの母君――魔女がしてきたことは許されることではない。俺の見解では、両親が処刑されたのは仕様のないことだと思う。だが、何も知らずに生まれてきたメルセデスは、何も悪くない。

「知ってたのか? アンタの母親が魔女だってこと」
「いいえ。知ったのは公開処刑が決まったときよ」

それなのに人間は、メルセデスを延々と罰し、傷付けてきた。
花という種類は数えきれないほどあるのに、何故、どれを取っても可憐で美しいのだろうか。どんなに小さな花でも、凛々しく立ち、誇らしげに咲いているというのに。何故、人間は違うのか。

闇色の薔薇ローザネーラはね――」

そこでメルセデスが、急に本題に戻る。

「魔女の周りに咲いているのよ。でも人間が見るには、死んでからじゃないと無理ね」

人型とはいえ、やはり人間とは程遠い存在であることが分かる。

「私が人の周りの花が見えるようになったのは、ママが初めてよ。ママの処刑、私、見てたの。灰になるまで。もちろん、火に焼かれて闇色の薔薇ローザネーラも塵となったわ」

本の知識でしか知らない、魔女の公開処刑。
本来なら「火炙りの刑」は、その以前に殺害してから行うものであるが、メルセデスの母親は、生きたまま焼き殺されるという残酷な仕打ちを受けたという。
数々の拷問によって生気を失った魔女は、無防備な姿で両手を封じられ、木製の棒にその身を縛られる。足元にはぼうぼうとした藁が並べられ、執行人によって火を灯される。火はすばやく、すべての藁へと移り、やがて魔女の足元へ。立ち上がる真っ黒な煙と、肉の焼ける強烈な匂い。魔女の悲鳴と、村人たちの歓声。
実の母親の公開処刑を間近で見ていたメルセデスにとっては、本来なら思い出したくもない話だろう。

「薔薇は“愛”の象徴。愛を知らずに生きてきた魔女に咲くのは、闇色の薔薇ローザネーラ

橙色の日差しが、メルセデスの髪を留めているブローチを反射し、それがキラリと輝いた。
“魔女狩り”の目的は魔女の殲滅だけじゃないはずだ。当時は気味悪がられてはいただろうが、現代での闇社会では、その花はとても貴重なもの。
だからこそ――。

「この花を見ようと、私は売られる」