「大輝!」
けたたましく開かれた和室の衾。リンは満面の笑みを浮かべて、ノックもせず俺の部屋へ入り込んできた。
「なんだよ、っせーな」
作業をしていた俺はあからさまに不機嫌な顔をして振り向き、リンを睨む。だがそんな表情も一瞬で変わる。
「なんだよ、その格好」
リンは、赤い色をベースにナチュラルホワイトの大きな花で彩られた浴衣を身に纏っている。いつもは面倒くさいからと言って手入れもせず下ろしたままの髪の毛を、今日は頭のてっぺんに束ねて団子にしている。
「花火、見に行こう!」
唐突な誘いに、俺は目が点になる。「……は?」
「花火見に行こうって言ってんの。ね、いいでしょ?」
そういえば、今日は近所の近くで夏祭りが開催されていることを忘れていた。リンの目はらんらんと輝いていて、どうしても行きたいと希望に満ちている。
「なんで俺が……」
断ろうとすると、リンは目を輝かせたまま、咄嗟に説得を試みる。
「一人で行っても楽しくないんだもん」
「他を誘えばいいだろ」
「だって皆、すでに出かけたんだもん。残ってるのは大輝一人だけ」
「は?」
数時間前、イベント好きの友人から連絡があって、仲のいい連中で俺の家に集まることになり(これも急な話で)、みんなで夏祭りに行こうという話になっていたのだが、俺は仕事があるから忙しいと一度断ったのにも関わらず、友人は強引にこの家に皆を連れて押し込んできた。
追い出すわけにもいかず、とりあえず好きにさせておいたのだが、作業に没頭しすぎて夏祭りどころか、家の中の物音すらも察知できずにいた。
「お前もあいつらと一緒に行けばよかっただろ」
「浴衣に着替えてたら、いつの間にか皆いなくなってたの」
「…………」
なんでリンだけ置いてかれたのは分からないが、ひとつ言えるのは。
「俺は騒がしいところが嫌いだ」
「知ってる」
「人ごみも嫌いだ」
「知ってる」
しれっとそう答えるリンに、俺は言葉を失う。
「でも静かな場所、確保するからさ。だからいいでしょ? 今から一人で行っても、皆と落ち合うかどうか分からないんだもん」
何をどう言われても、俺の返事は「ノー」だった。腑に落ちないのか、リンは頑なに俺を説得している。
「ヒューヒュー! 大輝の小細工は世界一だねぃ! よっ、宇宙一!」
「当たり前だ」
と、おだて作戦に乗ってみたらしい。
「大輝、祭では大輝の大好物のたこ焼きが売ってるんだよ」
「たこ焼きなんてその辺で買える」
と、餌付け作戦を実行してみたらしい。
「大輝~、ね~え~、一緒に行こうよぉ~」
「気色悪い、やめろ」
「もう! お色気作戦もダメ!?」
「胸ねぇし、尻もねぇ。そんな幼児体系で美少年を誘えると思うな」
「自分で自分を美少年って言ってる時点で大輝も病気だよね」
いつものやりとりを済ますと、リンはどこから取り出したのか、俺用の浴衣を広げて見せる。
「ほらっ、大輝の浴衣もばっちりだよ。これ着て行こう!」
「……お前、どうしても俺を行かせたいんだな」
「“イエス”しか聞かないから」
にこっと無邪気に笑った顔に、なんとなく逆らえなかった。

 

* * *

 

「だいたい、花火のどこがいいんだかさっぱりだっての」
「あんなキレイなものを、そんな風に言う大輝の神経わかんない」
結局俺はリンにすがられ、このままでは作業すらままならないので、止むを得ず夏祭りに向かう。
「大輝って、なんだかんだ言うこと聞いてくれるよね」
「…………」
俺はそれには答えず、がやがやと騒ぐ人々の中に入り込もうとしている。たくさんの人が浴衣を着ていて、金魚すくいや射的などの娯楽を楽しんでいる。中にはたこ焼き、わたあめなどを、幸せそうな顔で食す者もいる。
リンも例外ではない。
「あ、りんご飴だ!」
甘いものに目がないリンは屋台に駆け寄り、発泡スチロールに刺さっているリンゴを見てキラキラと目を輝かせる。俺もリンに続いて屋台にやってくる。涎を垂らしそうなリンを見て、屋台のおばさんが問う。
「お嬢ちゃんの彼氏かい?」
と、リンゴ飴を引き抜くと、にっこり笑ってリンにそれを差し出す。急な言葉にあっけにとられていたリンは「え……?」とおばさんを不思議そうに見詰めていた。
「いい男だねえ。おばさんも惚れてしまいそうだよ」
「彼氏って……大輝が? ないない、いつも部屋にこもってジジくさい生活送ってる大輝なんて――」
「次行くぞー」
おばさんに小銭を手渡して、リンの団子頭をわしづかみにしてグイグイと引っ張った。
「いたいっ! やめてよ髪が崩れる!」
「誰がジジイだって? あ?」
「だって26のおっさんじゃん、大輝」
ギロッとリンを睨む。
「26なんてまだ若い。今度お前の好物に毒入れて死なすぞ」
「毒なんか使ったら私の美しい顔が溶けちゃうでしょ」
「心配するな。顔が溶けるのを確認する前に死ぬから」
「道連れにしてやる!」
頭を抑えられてもなお、俺を殴ろうと必死に腕を伸ばすリンだが、短い腕が届くはずもなかった。
その後は、また人ごみに紛れて、花火を見るためのスポットを探しに行く。しかし途中でリンは色々な屋台を前に足を止めては、食べたり小物を買ったりしている。人々の騒々しさや、暑苦しさ、隙間のない場に他人とぶつかったり、ガキが足元を走ってすり抜けたりと、俺はだんだんとイライラしてきた。
「あ、大輝、待って。あそこに――」
「さっさと行くぞ」
新たな屋台に目を留めたリンの腕を掴んで、強引に俺のもとへ引っ張る。あと数メートルしかない一直線の道も、俺には長く思えた。ぐいぐいとリンを力強く引っ張っていると、「大輝、痛い……!」という声に俺はハッとした。
リンは俺の手を振り払って、手首をさすりながら眉間にシワを寄せる。
「もう! 乱暴なんだから。なんでそんなに引っ張るのよ。まだ見たいものあったのに」
俺はついカッとなった。
「だから一人で来いっつったんだよ」
不機嫌な声が俺とリンの間に響き、俺はいたたまれず背を向けリンから離れた。「あ、大輝、待って……!」と、俺を呼び止めてくれるリンに振り向きもせず。やっぱり来たのが間違いだった。是が非でもリンの誘いを断るべきだったかもしれない。ずんずんと前進し、ようやく人の間から抜け出すことができた。少し遅れてリンが息を切らしながら追いつく。
「大輝っ、はあ……待って」
両手を膝につき、息を整えてからリンは顔を上げた。その顔はまだどこか怒っている様子だ。
「そんなに怒るなら来なきゃよかったのに」
リンの一声に、俺の中で嫌な渦が巻く。
「お前が来いって言ったんだろ」
「そうだけど、まさかそんなに怒るなんて……もういいよ。帰ったら?」
「……は!?」
人を強引に家から連れ出してきて、このザマか。
「俺は人込みが嫌いだ。わかってただろ?」
「だからもういいって言ってるじゃない。私、皆を探すから」
リンは俺の横を通り過ぎようとして歩き出す。そのあからさまな態度にもっと腹が立ってきた。
「お前な……っ、俺はお前が行きたいって言うから――」
言い出してから、俺はハッとして口をつぐんだ。リンは俺の言葉に、足を止め、ゆっくりと振り返った。
「……なんでもねぇ。帰ればいいんだろ」
俺は顔を隠すようにして、咄嗟に背を向けてまた人込みの中へ戻ろうとした。
と、その時、リンが俺の手をぎゅっと掴んだ。
「待って、大輝。ごめん……ごめんって」
今、顔を見られるわけにはいかない。俺はリンと視線を合わせずに、その手を振り払う。
「あー……いいって。帰るからほっといてくれ」
再び歩き出そうとしたとき、リンが浴衣の袖を掴んだ。
「待ってったら。帰んないで」
割と強い力で俺を引き止めるから、俺もその場にとどまる。けど二人とも言葉を発することはせずに、ただその場に立ち尽くす。沈黙を破ったのはリンだった。
「せっかく来たのにずっと仏頂面だから、私もちょっとイラッときて……」
「もともとこういう顔だ」
「そうだけどさ……てっきり皆で来るのかと思ったのに、急に大輝と一緒に行って来いなんて言われるし、大輝を一人で残しておくのもアレだったし、大輝怒るし……なんか分かんなくなっちゃって」
「…………」
あいつらが急にいなくなった理由が分からなかったが、たぶんつじつまがいった。
これ以上は深く考えたくなくて、俺はもう一度リンの手を取った。その行動に驚いているリンをまたぐいぐいと引っ張って、人込みとは逆の方向へ歩き出す。
「どこ行くの?」
「花火、見るんだろ」
「え……でも」
「いいから」
神社の外れに向かうと、そこは人がまばらで、花火を見上げるにはもってこいの場所だった。俺たちは適当な場所に腰を下ろす。花火が始まる寸前に、リンは先ほど屋台で買ったリンゴ飴を頬張っていた。
「ん~美味しい! 生きててよかったぁ」
「そんなもんばっか食ってるから、いつまで経っても寸胴なんだよ」
「ずんど……!?」
リンが何かを言い返す前に、花火の打ち上げが始まった。
「ほら、花火、打ち上がったぜ」
「わ、きれー!」
そこからは特に言葉を交わすこともなく、リンは飴を何度かかじりながら夜空を見上げていた。俺も、広い空に咲く花を感慨深く眺めていた。俺はうっとりと花火を見つめるリンの顔を、チラッと横目で見て、すぐに逸らした。
「……」
「大輝」
不意に名前を呼ばれて、俺はリンに顔を向ける。「はい」と、自分でかじったリンゴ飴を俺に差し出した。
俺は「いらない」と否定するべきか、かじりつくべきかどうか悩んでいたが、リンはそんな俺の表情をいいようには捉えなかったようだ
「……まだ怒ってんの?」
リンゴ飴から視線を外し、リンと目がかち合う。「もう怒ってない」と答えようとした俺の口からは、まったく違う言葉が出てきた――。
「浴衣、似合ってる」
その言葉に一番ビックリしたのは、たぶんリンのほうで。リンは目を大きく見開いて、全身の力が抜けたのか、リンゴ飴がスッと下ろされた。暗くてあまり見えなかったが、リンの顔が赤くなっていたような気はした。花火のせいで、そう見えるだけかもしれないが。
リンは無言で俯いて、再びリンゴをかじる。俺もまたリンから顔を逸らすと、上を見上げることはなかった。
次々に打ち上がっていく花火の感想も途絶え、リンとは本当に口を利かなくなってしまい、打ち破れぬ気まずさに耐え切れなくなった俺は、途中なのにも関わらずサッと立ち上がり、無造作にケツの草をはらった。
「俺、帰るわ」
「え……!?」
素っ頓狂な声を上げ、リンがパッと俺を見上げ、慌てて立ち上がる。
「わ、私も……」
「お前は皆と合流して、もう少し……」
「い、いいよ、帰るよ」
「いや、残れよ。来たかったんだろ?」
リンはぐっと何かを堪えるように、目線を下ろして――。
「……大輝と帰る」
そう、呟いた。
花火でかき消される心臓の音に、どうか気付かないで欲しい。花火の光でカモフラージュされる赤い顔にも、どうか気付かないで欲しい。仕事は大事だが、一緒にいる時間を増やしたかっただけだ。少しでも、一緒にいたいって思うから。リンゴ飴を食べてる姿だって見たいし、それなら少しくらい人込みを我慢したって――。
次の言葉が思いつかなくて、俺は無言で歩き出す。リンもまた何も言わずについてきてくれる。リンが隣に追いつくまで、いったん足を止めて振り返ると、リンが俺に微笑んだ。
「来年も一緒に来ようね」
「二度と来ない」
咄嗟に出た答えが、そんな冷たい言葉だったが、リンは特に気にしていない様子だった。
そして歩き出そうとしたその時、今夜一番とも言える花火が咲き乱れた。他の花火よりも盛大な音を夜空に響かせ、リンも反射的にパッと振り返る。その顔は感動に満ち溢れていた。
感極まったのか、空高く手を挙げ、叫んだ。
「たーまやー!」
最後の花火は、夜空に大きく散り――。
そして地上に、小さな一輪の花が咲いた。






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